こんにちは。CoCoRoです。
軽く自己紹介します。
私は、新卒からホテルマンとして15年間国内国外様々なホテルを勤務してきました。
新卒はド日系のホテルで、当時〇〇ハラなんてなかったので、モラハラもセクハラも受けてきて、日本の企業ってこういうものんだとかみしめて働きました。
そして初めて外資に移った時には自分は他のホテルでは英語系で頼られていたから自分もできていると思っていたのに当時のアメリカ人総支配人に裏でこいつは英語話せないから英語クラス通わせろと言われ、心身を打ちのめされたこともありました。
英語は得意だったのに、自信あったのに、自信は過信だったのだと凹みながらも外国への夢は無くさず、
そして最後のホテルマンの挑戦としてシンガポールにきたのが11年前。
これは語学力ではなくご縁が導いてくれました。
日本国内にある某ブランドホテルからシンガポールの同ブランドのホテルに横スライドだったので、このブランド勤務の約8年は私の人生のすべてでした。
日本でも辞めるつもりなかったのですが、外国に行くという扉が開いたから”挑戦”してみることにしました。
シンガポールに来てからはこの職が天職だと思っていたので辞めるつもりはさらさらなかったし、周りのみんなも思っていなかったと思います。
でも、用意された運命には逆らえません。
コロナ、そして最も変えたのは結婚・出産。
天職で大好きなサービスマンを辞めてもいいと思えるほど自分の人生より大切な存在に出会えたことは、私の人生を一転させました。
それからは、家族・子供ありきの仕事でオフィス勤務を得て、今は企業専任のパーソナルアシスタント業をしています。
私は人と出会うことが大好き、人と人を繋ぐのが生きがいです。
新しいことに挑戦することに恐れず学ぶことも大好きです。
何かをやるときは自分のこれまでの知識とそしてその場面で新たに一緒に学びます。
つい先日まで自分は人見知りと思ってました。でも、会う人みんながそれは違うといいます。それでも、私は人と話すのが好きじゃないし、必要なければ話さないもんって断固否定していました。
でもね、それって私がそうなりたいと選んでるだと、とあるカウンセラーさんに言われました。
話したくないから話さない。でも話さなければならない時は話す。それは人見知りじゃないと。
うん、そう。だって自分の気分が乗らない時は人と話したくないんだもの。そして滅多に来ない気分の乗る時。
要するに自己中ってだけですね。
誰だって第一歩は不安です。だれかに助けてもらいたいと少しでも思うものです。
ましてや海外に自分の意思で来たわけではない場合尚更。
知り合いもいない、言語もわからない、なんか周りがきつい気がするけどやらなきゃならない。
でも、でも一歩踏み出したらその知識は消えてなくなるものじゃないので、
次への繋ぎになります。
もしかするとその勇気が、周りに同じ悩みを抱えている人の少しの手助けになるかもしれません。
私は指示”teach”したいわけじゃない。ただ、共有”share”したい。支えて”assist”あげたい。
単に思うままに一方向にリードするのではなく、いろんな可能性の方向を指し示してあげたい。
だから”コンパス”なんです。
私の答えはあなたの欲しい答えじゃないかもしれないし、私が失敗したことがあなたに適した正解かもしれない。
まずは生活していく上での不安ごとを私に共有してみませんか。
何かの道標になるかもしれません。
それで解決したらいいし、ダメだ、頼ってみようと思ったら依頼してみてください。
喜んでお手伝いします☺️